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Mother Tree Mayaの「今・ここ」と あなたの「今・ここ」が出逢う場所

「今日は死ぬのにもってこいの日」〜何かが死んで何かが生まれる〜

予定日を10日後に控えつつ、いつ赤ちゃんが生まれるサインがやってきてもおかしくない今の時期ってとっても不思議な時間。

 

今までの人生のなかでは大きな行事や予定っていうのはきっちりと日取りや時間が決まっていてというのが普通でした。

 

でもお産ばっかりはそうはいきません。

 

以前の記事にも書きましたが、自然分娩の予定なので、「その日」は私のコントロールを超えて、生まれてくる赤ちゃんと宇宙のタイミングでやってきます。

 

(もちろん運動して陣痛を促すとかっていうのも多少はあるけどね・・)

 

この究極の自然の摂理に身を任せて「待つ」というこの状態が、今、とても新鮮です。

 

誰もが経験するように、赤ちゃんが生まれてからは生活のすべてが大きく変化することになるでしょう。

 

それは、今まで当然のようにあった自分自身の生活、またはアイデンティティーを一旦手放すということ。

 

結婚してからも、理解ある夫のおかげであまり制約なく、日本と海外を行き来して自由に生きてきた私にとっては、赤ちゃんの誕生は、今まで当然のようにあった自由を手放すということ。

 

それは、たとえ人生の一時期だとしても、自分の内面で「何かが終わる=何かが死ぬ」というようなそんな感じです。

 

一度お母さんになったらきっと一生お母さんというアイデンティティーや意識は続くでしょうしね。

 

でもこの変化のプロセスは決してネガティブなことではなくて、逆に限られたなかにある「今・ここ」その瞬間瞬間を愛おしく、深く感じさせてくれます。

 

大きくいえば、「明日、地球が終わるかもしれないから、迷うことなく今をたっぷり堪能する」みたいなそんな感じでしょうか?

 

(あとから自分で読んで、出産くらいで大げさな~って失笑するかもしれないですがね・・)

 

朝の鳥たちのさえずり・・

 

子どもたちの笑顔・・

 

海に映る朝日や夕日の美しさ・・

 

ありきたりの日常がキラキラと輝いているそんな感じです。

 

始まりと終わりがある旅にでたときの感覚も似ています。

 

この感覚は「今・ここ」で何かを生み出したいという創造的な感性を刺激してくれます。

 

形のない自分にあえてアイデンティティーを与えるならば、表現者・アーティストでありたいと思っている私にとって、これほど至福の感覚はありません。

 

話は変わりますが、ヒーリング・セラピーのお仕事をしていながら多くの人を観察していると「癒し」には様々な段階があることに気づかされました。

そのなかでそれぞれが創造性、すなわちクリエイティブなエネルギーと深くつながれている状態というのは最も根源に近い感じがします。

それによって自分という世界にひとつだけのお花を開花させて、この宇宙にその存在を表現することができます。もしくは何か行動しなくてもその人のあり方で体現しているということでも同じです。

 

いずれにしても、その人のいのちのエネルギーが循環していきます。

 

出産そのものが究極の、創造的なお仕事なので、こういう感覚になりやすいとも思います。

 

でもこのようなクリエイティブな感覚を日常の中でも感じて、それぞれのスタイルで自分自身を表現していけたら素敵ですよね。

 

そのコツは意識的に「死んでみる」ということなのかもしれません。

 

少し言葉のインパクトは強いかもしれませんが、「死ぬ」ということはもちろん象徴的な意味においてです。

 

以前の私は自分の心がうまく扱えなくて、どうしようもないときがありました。理由がはっきりとしているときも、していないときも。

 

「もう死にたいな・・」って思うくらいのときもありました。

 

でもそんなときはひとつのチャンスだったりします。

 

「じゃあ死んでみよう・・」ってイメージのなかで死んでみるのです。

 

ソファーやベットに横たわって自分自身が地中に埋まってどんどんと深いところにおりていくようなそんなイメージが私はピンときます。

 

うつのような感じで何も感じられなかったり、逆に感情の嵐に襲われて吹き飛ばされそうなこともあったり・・

 

それはケースバイケースですがそれを、粘り強くやりきってみるととなんともいえなく深い深い世界へたどり着きます。

 

そこにはスペース・広がりがあります。

 

そしてそこから何かが沸き上がってくるのを感じます。

 

それはとくとくと湧き出てくる泉のようなもの。

 

なんともいえない深い感情なのですが、それは嵐や暴風雨のような手に負えないものでも、硬直した氷のようなものではなくて、流れる水のような感じ。

 

その感情にあえて名前をつけなくてもいいと思います。

 

それは流れる水のようなものなので、一つの形にとらわれることなく変幻自在。

 

それをただただ感じて、観察していくといずれはなにかに形を変えていきます。

 

その瞬間に私の場合は言葉とかメロディーがおりてきて、曲ができたりします。

 

人によってはビジュアル的なイメージだったり、動きだったり、何かのアイディアだったりするでしょう。

 

まさにそれはギフトを宇宙から受け取ったみたいな・・・シンプルな豊かさの感覚です。

 

これを生み出すためにこの気持ちを経験したのか、それともこの気持ちを経験したからこれが生まれたのか。

 

どっちでももいいんです。生まれるものはただ生まれる。

 

先ほど書いたように何かを生み出している感覚ほどの至福はありません。

 

何かが死んで、何かが生まれるー。

 

特に大きなきっかけがなくても、毎日、眠る前にそんなことをイメージしてみてもいいかもしれません。意識のある状態から無意識へと移る眠りは、日常のなかでの小さな死ともいえるでしょう。

 

「今日一日、いろんなことがあったけど、眠りとともにすべて終わるー。」

 

「目覚めた時は朝日とともに全く新しい自分が生まれているー。」

 

冬の一番寒いこの時期はそういったことがイメージしやすいかもしれないですね。

 

春に新しく芽吹くために今、死んでみるのには格好の時期なのかもしれません。

 

「今日は死ぬのにもってこいの日」

 

ネイティブアメリカンのそんな言葉をこの記事を書きながら思いました。

 

トランプ大統領就任を控え、今まで当然のように存在していた枠組み等、なにかと変化の大きなこの世界。

 

先行きが不安な人も多いかもしれません。

 

何かわからないけど鬱々としている人も多いかもしれません。

 

こんな時代だからこそ、大きな声に流されるのではなく、小さな声に思えるその声を大切にできますように。

 

一人ひとりが創造の光を持っていることを思い出せますように。

 

それが、この世界に広がり、地球を癒していきますように。

 

阪神大震災から22年たった神戸より、

 

この大きな変化のタイミングに世界にやってくるおなかの赤ちゃんとともに

 

祈りをこめてー。

 

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